International Conference on “Esoteric Buddhism and East Asian Society” — Abstracts
Click here to return to main conference page. ABÉ Yasurō 阿部泰郎 (University of Nagoya 日本名古屋大學): 中世日本における五蔵曼荼羅思想の形成と展開 『三種悉地破地獄儀軌』と略称される、晩唐から五代にかけて成立したと推定され、入唐八家の将来テクストのひとつであった経軌を元に、十世紀の天台密教は、そのエッセンスを『五蔵曼荼羅』と名付ける行者の内観法に集約した。これは台密法流の秘伝聖教の一環として、十一~十二世紀の古写本が青蓮院など天台門跡寺院の経蔵に伝来する。それは院政期(十二世紀)に、鳥羽院の絶大な帰依を受けた覚鑁(~1143)の最晩年の集大成的著作『五輪九字明秘密釈』の中核部分に、そのまま全て摂り込まれ、借用された。それは、彼の密教と浄土を融合し、即身成仏により極楽往生を目指す宗教思想の到達点を支える、きわめて実践的かつパフォーマティブな五輪塔と身体の一体化による新たな世界観形成の、決定的な鍵となった。この文献学上の事実の発見は、日本の密教思想史の道程にひとつの明確な座標を与えるもので、重要な意義を有する。 以降の中世に、この「五蔵曼荼羅」による密教思想の展開は、高野山の道範による『五智五蔵秘密抄』(1236)や、寛暁『五蔵曼荼羅和会釈』(1162)など、顕密仏教の世界で共有され、これらのテクストの流布を介して、全国の密教寺院から、更には修験道を通じて民間の宗教者の間にまで拡がっていくことになった。今も各地に伝えられる、密教にもとづく成仏による浄土往生を実践する「浄土神楽」とも呼ばれる神仏習合の祭儀を担っていた神楽太夫たちの所持する宗教テクストの中には、『五形祭文』と題される、「五蔵曼荼羅」思想の末裔たちがみいだされる。このようにして、密教は、中世の日本のコスモロジーを身体観の次元において創りだしていったのである。 Deng Qiyao 鄧啓耀 (Sun Yat-sen University 中山大學): 《南詔中興畫傳》與佛教密宗傳入南詔核心區域的一次文化突變事件 南詔國是唐代西南地區著名的地方政權,發跡於雲南巍山,遷都至大理,國力強盛時轄區北達西昌,南攝東南亞北部,與大唐、吐蕃幾成鼎立之勢。天寶年間,唐朝曾先後兩次派十萬大軍征伐南詔,均告失敗。南詔也多次到成都擄掠文化和工藝人才,引進先進的生產力。南詔國與唐王朝和吐蕃政權有密切的文化互動。作為漢、藏、東南亞及南亞幾大文化板塊的交匯之地,南詔文化在中世紀主動吸取漢地的教育、科技和宗教,也接納了來自西域的密教,形成具有地方特色的“阿吒力”教。其標誌性的現象,就是熔毀了本土民間信仰的重要祭器銅鼓,大量鑄造型製獨特的“阿嵯耶”觀音像。在地方歷史文獻和民間傳說中,“阿吒力”法師具有降妖伏魔、祈雨祛旱的能力,甚至在歷史上著名的大敗唐軍的戰爭中,還有作為國師的“阿吒力法師臨陣施法的記錄。 本文主要以南詔末年的官修圖像文獻《南詔中興畫傳》和大理地區重要文物金銅“阿嵯耶”觀音像為例,通過圖像分析,發現密宗傳入南詔核心區域時,既有變服從俗,適應當地文化習俗的順勢行為,也有熔鼓鑄佛,改變本土信仰重要像徵物的逆向干預;另外,地方文獻及當地有關觀音斗羅剎的民間傳說,是從另外一個側面對密宗與本土巫教鬥法進行闡述的互文。這些文獻顯示,唐代,佛教密宗在傳入大理巍山一帶的過程中,曾與本土宗教和民間信仰有過一些衝突,傳教法師通過施展法術、幻化形象並部分地進行一些在地化適應,成功化解矛盾,取而代之,導致當地原生信仰發生文化突變。 Lucia Dolce (University of London 英國倫敦大學): A Chinese Tantric Scripture and Its Ritual Exegesis: The Yuqijing 瑜祇經 and the Yogin Abhiseka 瑜祇灌頂 The Continue reading